1月20日(日) サラリーマン金太郎
只今パニック度100%状態。
なのに
サラリーマン金太郎などというTVを見てしまった。
ヘルメットにドカジャン姿。
それ見ただけで何か、その気になる単純なギョーカイの人ですワタシハ。

余裕がありません、今日はこれで勘弁してください。
以上。

1月19日(土) ストレス100%
只今ストレス100%状態。
設計に集中したいのに・・・
2日間旅篭町で奴隷作業
予定がくるった、時間がない
もう、お人好しはやめよう・・着信拒否
徹夜モードだな
1月17日(木) 1.17阪神大震災
もう日付は変わって18日になってしまった。深夜3時だが今、山形市から100kmの道を帰ってきた。疲れ果て眠いがどうしても書いておきたい。
7年前の1月17日、そう、阪神大震災があった日だ。
その1ヶ月前、友人の結婚式で私は神戸を訪れていた。あのなぎ倒された高速道路の上も下も走った。神戸一の繁華街三宮で買い物や食事を楽しんでいた。その街が一瞬にしてあの悪夢に・・・
毎日テレビを通じ、その信じられない光景を、遠く離れた山形で見ていた。2週間ほどたっただろうか、以前担当した静岡の建物を見てくると、周囲に話し出かけた。
何か迷いがあったが、結局、静岡駅前に車を乗り捨て、新幹線で西へ。
新大阪、そして阪急に乗り、あてもなく・・神戸方面へ。時間は夜9時過ぎ
芦屋までの運転だという。駅に降りる。静まりかえっている。ここではじめて被害を目にする。
駅を少し離れるともう暗闇、三宮までどのぐらいなんだろう?引き返す訳にもいかない。
阪急の線路沿いの道を歩き始める。車も人も見かけない、進むほどに被害は大きくなっていく。
とても心細い。途中ローソンの明かり、ミネラルウオーターとマスクを買う。ホコリがひどくのどが痛い。あとになり地図を買えば良かったと後悔。阪急と国道2号の間を行けば、いつかは着くだろうと、蛇行しながら歩く。夜も遅いからか家の明かりもほとんど無い。住宅街をさまようが、闇の中に広がる倒壊した住宅、新しい住宅がポツンと残っている。瓦礫の街が続く・・・表現のしようがない。
深夜2時過ぎ、ようやく三宮へ。やっと人影を見かける。あかりのあるほうへ向かう。神戸市役所のようだ。公園のベンチで休もうとするが寒くて仕方ない。被災者でもない自分が避難場所に入るのは申し訳ない気持ちで一杯だったが、市役所ロビーへ行ってみる。毛布にくるまった人たちでいっぱいだった。階段の踊り場にわずかな隙間を見つけた。少しでいいから眠りたい。体をまるめ休む。この庁舎高層ビルの新しいたてものだが、この踊り場まで石がはってある。つめたい・・でもみんなずーとここでこの状態だったんだ。
夜明けとともに街に出る。新神戸駅、北野町をまわり長田町へ。ここは焼き尽くされた街だ。とにかく歩いて回る。あの惨状、とても表現できない。昨夜通った街やこの街は大きな人命を失った。昼前に三宮駅前に戻る、ここはこの震災の象徴的光景となっているが、カメラを持った人々でゴッタがえしている。テレビで繰り返し映し出されたビルをバックに記念撮影をする者が大勢いる。ナンナンダと怒りがこみ上げるが、この地に来た自分も所詮同類かもしれない。
帰ろう。
ポケットにはカメラが入っていたが、結局一度も取り出すことはできなかった。
恐怖感と、避難所での冷たく硬い床と寒さ・・・
なぜ行ったんだろう。
1月16日(水) トラブル相談
JIA東北支部が受けた建築トラブル相談、ぐるーり回って私のところへたどり着いた。
庄内での案件。最近ニュースに醜態をさらしている土建業界のある当地ではあるが、地域に根ざしていない、しがらみのない私なら支障ないのか、
この奉仕活動を通じて、建築家の社会における役割と存在意義を明らかにし、公共の福祉の増進に寄与するとの、JIAの目的を胸に、いざ出動。

この案件、詳細は伏せるが、設計事務所は設計のみ(当初は設計・監理の予定)、施工は地元ゼネコン、結局工事監理は施工者のゼネコン。となればギョーカイの方ならトラブルの一端は想像できるのでは。相談者からの一方的な話なので、私はとりあえずウンウンと聞くだけ、7年前からのコトなのでそう単純な話ではない。せめて監理に設計者もしくは第三者が介在していれば予防なり初期対応がわかりやすくできたのに、と思うのだが。さてどうしようか?

建築トラブル、自身を含め、いつも地雷原で仕事してるようなもの。

1月15日(火) オーディション1次審査
本日とあるオーディションの1次審査を受けました。結果はとりあえず仮合格かな?
2次審査は1週間後。他の参加者は住宅メーカー数社。概略をプレゼする。
審査員はクライアント,
これは私が勝手にオーディションと言ってるだけだが・・・

住宅設計?の主役は、かつては設計図不要の大工だった。そして今はCM効果抜群の住宅メーカー。一方建築家(設計事務所)は態度はデカイガ、庶民からの親近感はいまだに極めてチイサイ存在不明。

同じ舞台で自分の案を披露し、クライアントの審査を受ける
ショウブ、イタシマス

1月12日(土) 住宅メーカー訪問
カタログをもらいに某住宅メーカーの営業所へ。噂では聞いていたが、入り口でまずは顧客名簿へ記入させられた。インターネットでの請求でもよかったが、どっちみち名簿はつくられてしまう。カタログがほしいだけだが、やはりいろいろ聞いてくる。拒否してもよかろうが、車のナンバーを調べてまで営業するとの涙ぐましい営業話も耳にするので、余計な手間はかけさせまい、正直、建設関係者であることを話し、個人的に参考資料としてほしいと伝え、快く?いただいてきました。
アリガトウ。顧客名簿に載せないでね。ムダダヨ!

1月11日(金) 乾式化
本日も山形へ。高速使わず、久しぶりに112号を走る。チョットお腹がすいたなと寒河江のチェリーランドで休憩。売店にはいると、ベンチに座りラーメンをすする体の大きな人がいる。おや?鶴岡の左官屋の永井さんじゃないか。某住宅メーカーの基礎工事を山形で数カ所やっているという。昨年仕事をしていただいたが、左官業もコストダウン=乾式化の流れのなかでは、本来の職人の腕の見せ場が少なくなってきた業種だ。コストの問題は別として本モノを嗜好するなら、欠かせない職種なのだが。特に仕上げとしての左官作業は色の調合、コテむらなど職人さんのセンスとの駆け引きで、いつも勉強させられるんだが・・・
彼には左官の業界本を貸していただいたが、はたして時代はどの方向にむかうのか
機能、デザイン、素材、技、コスト・・等、比較すべき事じゃないが、優先順位は?
いつも自問自答しています。

個人的趣味で「藁と泥」調べはじめました。

1月10日(木) オーディション
さっき、NHKで劇団四季のミュージカルダンサーのオーディションのドキュメントを見た。
学生時代、深夜のバイトをしているととにかく役者志望の連中が多かった。時間が有れば芝居について、そしてさまざまなオーディションを受けている話を聞かされた。ああいうのを夢って言うんだろうか、漠然とだが彼らの姿に憧れをもった。リクルートスーツをまとい就職活動をする周囲にその夢なんて感じなかった。見ていて冷めてくる自分があった、だから就職しなかった。そんな自分もいつしか就職して5年目のある日、ある劇場で、つかこうへいの演劇を見ていた、舞台の上にいたのは、深夜のホテルの厨房清掃で一緒だった彼だった・・・・

日々、オーディション

1月9日(水) メカ音痴
今日、はじめて携帯電話のメモリー機能を使った。使い始めて4年程になるのに自分の電話番号さえも覚えていない。いつも相手の名刺の束を輪ゴムで留め、持ち歩いている。鳴ったら取るだけ。かなりのメカ音痴だ。ホームページなんかを自分で作ったのでかなりその手のものには強いと思われがちだが、全く苦手。必要な電化製品はとにかくバカチョンでシンプルなモノを選ぶし、基本機能しか使わない。こだわっているわけではない、それしかできないのだ。

新型 i Macが発表された。相変わらず他の追従を許さぬデザインだ。だからMacを使うんだが・・。早くキーボードとマウスから解放された林檎マークのコンピュータでませんかねー。
以上!

1月8日(火) 難関になった建築士試験
平成13年度一級建築士合格者は全国で4120人、例年であれば7000人程度の合格だったから、急にかなりの難関になった。合格率6.9%、山形県は14名となっている。昨年、庄内支庁に張りだされていた学科合格者名簿を見て、あれ?随分少ないなとは思っていたが・・。
近年、建築家協会、建築士会でも新しい資格が話題になっている。どうなるか?
試しに今年の学科問題を見てみる。そう!見るだけにする。決して解こうとしてはいけない。
・・・・取っててよかった・・・・。

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