12月31日(月) いまさら遅いけど

2001年も今日で終わり。

過ぎた時間は戻らない。

今この瞬間からはじめます。

2001.12.31 13:39

12月29日(土) 住宅は若手所員の学習の場

今年の締めに髪でも切るか。いつもの床屋へ・・
いつもの担当が準備にはいる。
するとマスターがヒソヒソ。
突然担当が変わる。
前回まではシャンプー、顔剃り専門の茶髪の彼に・・。
そうか俺は実験台だな。いつも全く注文なし。のびただけ、お任せの楽な客だからな。
理由はともかく選ばれた客だ。
ガンバレ茶髪!
ぎこちないクシさばき、無理に話掛けなくていいよ、ガンバレ!
しくじったってイイヨ。だってまたのびるから。

どんな世界にもこの瞬間ってあるはず。
設計の世界にも当然有るし、私も経験した。
でも髪のように1ヶ月、2ヶ月後にやり直すことはできない。
多分一生できないかも・・・。

私も修行時代最初の担当物件は住宅、未熟なのは明らか、何とも無念さが未だに残る。

12月25日(火) この名前で出ています

安藤忠雄建築研究所
石山修武研究室一級建築士事務所
北川原温建築都市研究所
隈研吾建築都市研究所
黒川紀章建築都市研究所
建築研究所アーキビジョン
谷口建築設計研究所
内藤廣建築設計事務所
柳沢孝彦+TAK建築・都市計画研究所
山本理顕設計工場

これは横須賀市美術館のQBS方式の設計者選考で大手を含めた公募96の中から選ばれた10の名前です。この設計者選定方式は改革的手法だが、私はこの選定された事務所の名称に単純に注目している。

ほとんどが個人名称が付くのだ。大手組織事務所、有名中堅事務所は当然のこと、ユニット系な事務所でもこの施設の設計能力があるところはイッパイあっただろうに。
私は設計事務所を学生時代より
ボス論という見方をしている。
どんな組織事務所であれ歴史をさかのぼれば、必ず一人の建築家個人にたどり着く。
一所員としての自分を私は、ただの志願兵と思っていた。(それを奴隷業と例える人もいるが)

建築家は結局、個人、自分自身の姿だと考えます。
だから、
小野寺コウ設計工房
なのです。

12月25日(火) 無題

身近に大変なことが続いている。
それらをこの欄に書き込むのはやめておこう。
かといって他のことを書くほど気持ちは落ち着かないが・・・。

なんとか、今日で一つ区切りをつけよう。

12月23日(日) 無題

昼過ぎテレビニュースに飛び起きた。今朝早く酒田で火災があり、住宅多数、お一人が亡くなったとのことだが、どうやらこのお宅は、東京での後輩の実家のようだ。また彼のお兄さん(高校の1年後輩神奈川在住)とも最近メール交換をはじめていたのでとても心配だ。休日だが確認のため事務所へ連絡するが、間違いないらしい。この年の瀬になって、なんともいたましいことだ。

12月21日(金) 庄内の住宅事情

わたくし事だが、祖母の葬儀等が済みようやく落ち着いてきました。
わが家としては、旧宅と現在の家を通して初めての葬儀だった。住宅設計の際から問題となったのが冠婚葬祭のことであったが、今回実際に経験してみて「なるほど」と思ったことを記述しよう。

庄内地方では、市街地をのぞいた郡部では住宅の間取りは見事にほぼ同じである。
その一つ、茶の間、和室x2の2間続き(各8〜12畳)これは昔からの冠婚葬祭を自宅で行うための一種の儀式の間、もてなしの間である。これを伝統と言えば何ら問題は無いのだろうが、わたしは日常の家族、個々の生活を重視したいと常々感じている。形式を変えることをタブー視することの馬鹿馬鹿しさ、単純に右習えの風習にささやかな抵抗としてわが家は座敷は12畳1間とした。私の集落では通夜の際、全戸より集まり唄を捧げる。20数名+僧侶+親族当然入りきれない。廊下、玄関ホールまで使う。こうなることは覚悟の上、わが家はそれでいいのだ。儀式の為の家ではない。
果たしてみなさんどう思っただろうか?これは小さなコミュニティでの風習ではあるが、数十年に一度しかその用をなさない部屋の造りを当たり前としていることに疑問を持つ。少なくともどこの家も一緒なのは、住宅への無関心の表れだと思うのですが・・・。

12月17日(月) 深々と雪が降っています

最愛の祖母と今朝、最期の別れとなりました。

12月15日(土) 新建築読むのはxx者

大学3年のとき「新建築編集部でバイト募集してるけど勉強にどうだい」教授から紹介をうけた。バイト料としては格安だったが、これも建築の世界、ちょっとのぞいてみることにした。場所は湯島、大学(神田)からは徒歩で行ける。授業の合間でも行けそう、それに食事は社員食堂にていただける。ビンボー学生にはそれの方がありがたい。

担当はN氏、今度日本の近代建築を総まとめをした本を出すのでその資料整理として、新建築創刊号から全てを見て住所、作者、用途を書き出してほしいという。編集部のなかにはずらりとバックナンバーが製本されている。その長さに歴史の重みを感じる。作業は単純だが、やはり写真をじっと見てしまう。当然手も止まる。脇では編集の方々の作家、作品の批評が始まる。私の耳はダンボ状態・・・。

N氏が尋ねてきた「君はどこの出身?」「はい山形県です」「あそこは全然無いんだよね日本の****だから」
(****かー?優しく、良く言えば未開の地てことかな。確かにいくら調べても山形県は滅多に出てこない)

「もうすぐ、谷口さんの美術館が酒田にできるよ。あれはいいよ・・・」

学生時代から雑誌には多大な影響を受けた。というか毒されたかも。
こと新建築はミーハー雑誌、村社会の交換日記、建築界のワイドショー雑誌とよく言われるが、やはり気になる雑誌だ。いつかは新建築。これって誰もが思うことだろう。そうじゃなくても自身の指標として利用するにはちょうどいいのでは。対局をいくか?、乗っかるか?、ちょっと拝借するか?賞味期限半年の流行デザイン。

こんなのもあるな、そんな世界に興味なし、建築知識のみで十分・・・・。

12月12日(水) しっかりしてくれ鶴岡キャンパス

なんかここのところ雑誌ネタが続くが、ご勘弁願おう。本日届いた日経アーキテクチャー、表紙はなぜか鶴岡タウンキャンパス(あれってそんな名前だったんだ)あの敷地は市営球場と武道館があった。私も高校生時代、剣道部員として3年間、下駄を履き、高校から毎日あの武道館へ通った。汗のしみこんだ思い出の場所である。ちょっと遠慮しとこうかなと思ったが、はっきり言ってしまおう。

1・池はかつての堀の復活というが
・・・・土門拳美術館みたいになりたかっただけでしょ。
2・1日たった30人程度の利用者は落ち着いた空間にするため?
・・・・だったら市立図書館と交換しようよ。使わないんだったら。
3・なぜビオトープなの
・・・・だったら建物を田圃の中に造れば良かったじゃない。いくらでもあるよ。(農薬まみれで駄目か?)
4・安っぽいと評判の研修棟、あっちこっちにあったね
・・・・どうしてこうなるの。しかも鶴岡、酒田、湯野浜と同じようなものがぽこぽこ建ってる。日本設計の商品化住宅かと思った。
5・マスタープランナーの池田氏の役割は
・・・・これコンペだったけど池田氏も参加してたんじゃなかったっけ?
・・・・施設の一部を設計したり監理したりしているようだが、プロフェッサーとしてとアーキテクトとしての業務は明示すべきでは?

100年を越え、建築の歴史の中でも、そしてこの鶴岡の街の財産としてもその存在を残す、擬洋風建築群に勝負を挑んだが結果はいかがだったのか、そんなこと意識してなかったのかな?

12月10日(月) ガマン
本日より庄内地方も本格的に地吹雪の季節に突入。この風のすごさ、絶対、内陸地方の方には分からないでしょう。ホント怖いですよ。この風への対策として我が家の失敗を披露しよう。
私の部屋は壁・天井共にシナ合板目透かし貼りである。仕上げとしては定番だが、冬になるとチョット問題有り。目透かし部分は木胴縁だが、どうしても微妙な隙間は生じる。換気口等も当然閉めてはいるが、余りの強風の圧力にて通気が生じる。わが家以外では、音対策を含めPB捨て貼りとしているので安心だが、我が部屋のガマンも限界というかガマンする必要なんかない実験してみよう。自分で目透かしをコーキング処理することにする。ホームセンターでコーキングとガン、ヘラ、マスキングテープを購入。
まあ失敗の駄目直しだが、わが家、わが部屋で良かった。
今後のためコーキングの技を磨く。延べ60m壁のみ施工。

今日のタイトル・「ガマン」実は今、禁煙8日目・・・。

12月6日(木) 石山修武一家

今月12月の室内、石山修武一家ここに集まって住むだって。9月28日のコラムにて石山氏について少々書いたが、雑誌の表紙にこんな取り上げ方をされる、これが石山氏の魅力だろう。編集者の言葉もなぜか優しく、コミカルになっている。ここ数年ご無沙汰だったが、間違いなく石山の時代は再来していると思う。こんな笑い顔で表紙になれるなんて、他には象設計集団ぐらいでは・・・。最近NHKでやった東孝光さんの塔の家での家族像も素敵だったなー。

今月の新建築あれ何なんでしょう、表紙が訳わからないが、論文は2つとも訳わからない。どうして、あんな難解な言葉を使うのか?、来月この論文を賞賛する人の言葉が又超難解になるだろう。これって私が勉強不足なんですか?難解論者に限って、設計の際は、カッコイイだのカッコワルイだの品のない低俗な言葉でやってるんだけど・・・。

12月5日(水) 相変わらず徹夜かい?

ホームページ見ました。日記が続いているのには驚きました。
こんなメールが研究室の同期、西田より届く。送信日時を見るとAM8:29。彼がこんな早くから仕事をしてるはずはない、きっと徹夜明けだろう。ケイタイに電話する・・・。
・・・どこ?
・・・事務所
・・・泊まり?
・・・うん、一週間前からいる。

設計事務所にはこの手の人がとても多い。

12月4日(火) +1.5mの世界

ちょっと仙台までトンボ帰り、タイヤ交換がまだなので高速バスで・・。
乗用車の視線は地面から1.5m位かな、バスだと3m位かな。
月山越えなんかこれまで何百回もしたが、「あれ!あんなところに山小屋なんかあったっけ?」
知らなかった、見えていなかったことにショック。たった1.5m上から見る風景は全く違った。
それに気づくとトンネル一本、沢の流れ一つが面白く、新鮮にみえる。
別にバスやダンプを運転したくなった訳ではない。
物事の感じ方なんて、わずか+1.5m、そんなもんで変えられるのかも。

12月3日(月) それでよかったんだ!

ついさっき(pm8:00)、門のある家の前を通った。おや?玄関奥の中庭にクリスマスのミニライトの飾りがしてある。玄関扉のガラスを透しきれいなあかりが、前面の道路から見える。そういえば最後の最後に玄関の透明ガラスが入ったとき、奥様とおばあちゃんが大騒ぎしたっけ。中が丸見え何とかしてほしいと。ご主人とは打ち合わせたんだが、どうしても駄目ならフィルムを貼ることを約束し、しばらく様子を見ることに・・・。その後そのままのほうが良いとの言葉をいただいてはいたが、今日、あの飾りを見て安心、ソレデヨカッタンダ。

12月2日(日) From Aだったあのころ

東京からのUターンの方より、職に関し問い合わせ有り。
昨今の雇用状況からすれば相当厳しいのだろう。力にはなれないが、この機会にちょっと思い起こしたので記録しておこう。

私の経歴、空白の時期
第一期(1年間)
大学卒業時就職せず。アトリエ系設計事務所で修行するつもりはあるが、そのまえにいろいろ見ておきたいと、就職活動もせず資金稼ぎとしてバイク便のアルバイト。私のアパートの近くの設計事務所に同期が就職していた。朝、市ヶ谷の坂の途中でいつもすれちがう、こちらはジーパンにヘルメット姿、ちょっとあせりが・・・。私の動向を心配した別の同期が設計事務所のアルバイトを紹介、昼〜PM11:00設計、PM11:00〜AM8:00バイク便という生活になるが、やはり設計は楽しくて仕方なかった。
その後、宮城県立美術館新館の設計スタッフを捜しているとの紹介有り。一級建築士との条件だったが、アルバイトでマンション計画しか経験が無いが、まずは青山の大宇根事務所へ・・。いないよりマシなのか採用。2ヶ月間とのこと。参考にしろと渡された前川事務所の本館設計図、とにかく、美しかった。設計図ってこういうものかと、驚きだった。所長と副所長が前川事務所出身というのは、私の卒論にも関係し、因果な縁だなとの思いだった。もう図面を描くのがうれしくて仕方ない、図面を通して技術的な指摘、指導はとても厳しかったが、これが喜びであった。お金もらって、こんなに教えを受けていいのかな?寝るのが惜しい日々・・。2ヶ月の期間は経るが、所内の他のチームの手伝いで、うろちょろ。いつものごとく給湯室で、たばこを吸っていると副所長が、「お前いずれ山形帰るんだろうが、この事務所で何年かでも修行したらどうだ・・・」後日「桜を見に行こう」所長に青山墓地へつれだされ・・・大学卒業して1年後の4月、事務所の一員となりました。

6年の勤務を経て、30歳前にと退職、山形へ戻ることにする。
退職の意向を伝えると、師は、「
・月・日・時NHKホールのエントランスに来い」と言う。何かと思い行くと演奏会であった。相当疲れていただろうに、ウトウトする師の姿を見ながら、わざわざ時間を作ってくれた事に感謝であった。いよいよ事務所を去る時、掛けてくださった言葉が忘れられない。
「おまえ、われわれを裏切るなよ。絶対入札なんかするんじゃないぞ・・・」
タイセツナコトデス・マモリマス・ソノツモリデシタ

第二期(2年間)
山形に戻るが、資格を取っていない。試験まで2ヶ月だが時間はたっぷりある、学生時代のごとく図書館で高校生と共にマジに勉強。プーの立場を利用。独立したいので失敗はできない。学科試験会場にて高校の同級生に出会い、設計事務所のアルバイトを紹介され、しばらくやることに。何か、いつものパターン。
学科はOK、製図の課題は美術館。あらゆる試験テキストの参考例には大宇根事務所の作品が掲載されている。妙な自信とプレッシャー。無事資格取得し、事務所登録。何のあてもないが、名刺を作ったなー。誰の紹介か現場常駐の施工図の打診有り、設計でもないし常駐となれば、身売り、そもそも施工図チェックはするが書いたことはない。何とかなるか、結局ここで得た収入と時間をCAD購入、習得につぎ込むことに。施工者サイドの一員として、設計者の図面、態度を見るが、実に反省させられることが多い。裸の王様な設計者っていますよね。現場も仕上げに入りそろそろ施工図も終わりかなと思った頃、建築家協会の活動を通じ、山形市の事務所から誘いを受ける。これは前所属事務所の経歴によるものだろうが、山形の老舗設計事務所ってどんなものだろう、入いんなきゃわからないし、出会った縁を信じて・・・。
Uターンして2年再び設計の世界へ

フリーな時期は野望と不安は背中合わせ。やりたいことだけはハッキリしていれば道は開けるのでは。
チョット、マワリミチ。

ところで問い合わせのあった方の件、どなたかご考慮いただければ幸いかと・・
・戸沢村在住の女性。
・専門学校を出た後、六月まで東京の設計事務所で一年二ヶ月勤務。
・MacもWinもOK。
・2DCADはJW、Autocad。
・3DはForm Z。
・ペイント系はイラストレーター、Photshop。
・Htmlも多少は理解できるとのこと。