12月28日(土) 時限爆弾
世間は今日で御用納め。年末年始休暇に突入。現場もお休み。
やっと自分のペースで仕事が出来るよ。
しばらく事務所にこもります。できることならケイタイ捨てたい。
産みの苦しみに七転八倒中。ひらめかないと年越せません。
まだ?もう?3日、72時間も?あるじゃないか。
爆弾処理班のキブン・・・ナゼか必ず間に合うけど・・・あせるよね。
雑誌「建築知識」編集部員一年生さんのこの一年振り返っての言葉より・・・
体育会系でもなく文化系でもない。理系とも文系とも言える。
おやじなのか子供なのか。時計が役に立たない世界・・・・・・・・ダッテ。
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12月26日(木) 無人灯
当事務所は毎日毎日、深夜でも灯りが消えることはない。
ご近所の方も、朝までシゴトやっていると思ってるらしい。
自分でもそんな意気込みダケはあるが・・・違うんです、誤解です。
照明器具のプルスイッチ動かなくなって、消せないんです。
24時間つけっぱなし・・・・・・それだけのことです。
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12月24日(火) 反省その3
あと一週間ですか。掛け声倒れが決定的。スケジュールがショートしちまってる。
よろずや自称のごとく、来るモノ拒まず受け入れてきたが、一人でやるにはこれが限界か。
今年は中盤から実施設計図作成は外部協力にてこなしてきた。
打ち合わせ、構想、スタディ、スケッチ、積算、監理は自分にしかできない。
本業と思われてる内部業務を外部助っ人に頼ってきたわけだ。
図面をシッカリ書けば監理は楽になる、それはごもっとも、でもそれは設計と施工者の間のハナシ。
顧客はどんなに時間を掛け打ち合わせし、プレゼしようが図面段階では理解できていない。
そこを何とかしようとしたら結局、作図に費やした時間の3〜5倍も監理にけちまった。
モノになるかわからぬ、企画段階の図面についても、アイディア有るが作図する時間も費用もナシ。
こなすことには意味がない、質を上げたいのだ、とモガキ続けた後半。新たな課題。
てなこと言ってるけど、去年の今ごろは次年のあて、なーんにも無かったけどね。
アリの三段跳び、ぐらいの進歩したのかな。
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12月23日(月) 上げ底
雑誌「住宅特集」某建物の設計データ家具の欄(本誌掲載用協力、実際とは異なる)との記載。
正直だね。撮影用に有名ブランド家具持ち込み、建物の完成度上げ底するハナシはよく聞くが
こうやって白状してあると、安心するよ。設計側にて家具選定に関われないこともしばしば、
竣工後訪れ、ショック・・・ってよくあること。
当方は設計初期にて家具の嗜好確認、それに合わせた素材、色の調和を建物側で行う。
巻末の「近作訪問」にも家具にまつわるズレが・・・
雑誌掲載時とは全く異なるテーブル、ソファーが並んでいたそうだ。
訪問者は建築家、建築主双方を巧みに持ち上げてるが・・・気になる記事だ。
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12月22日(日) 「いらっしゃいませ」
設計事務所。んー・・あたりまえのようにこんな職業やってるが世間からはどうみられているのか?
業界村社会ではセンセイと呼ばれるが(陰では設計屋と呼ばれてるにもかかわらず喜んでる裸のバカ殿)
単なるサービス業者というのが当方の見解。
建築家協会にても会長が社会を消費者と表現していることに、一部会員より反発あるようだが・・・
時代、変化の境目に立たされている。変われない人、気づかない人、まだ大丈夫と思ってる人。
ありとあらゆるものの仕組みが破綻している。結果的にダメだったということでしょう。
建築家っていう呼称、建築サービス業の代名詞でもいいと思う。
結果、認知されなかった古い化石的名前、でも世間ではアコガレの対象、わけもわからずに。
最近生まれた職業ぐらいにしか世間は思ってないよ。
某番組じゃないが、匠のように自ら天井引っ剥がすぐらいの演技できなきゃ、絵にならない業務なのさ。
実際そんなのヤラセ演技なわけだが、アレでやっと建築家の役割存在と結果が社会に見えたってコト。
設計の世界は、わかりやすさっていうこと大事にしてこなかった、独りよがりなお仕事です。
設計事務所を訪ねると「いらっしゃいませー」と迎えられる・・・ヘンですか?斜めに社会見てます。
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12月20日(金) まだ居るの?
ようやく復調。病み上がりカケにもかかわらずこれから鍋を食いに出かける。(無理矢理治した)
かつて組織内で設計コンビを組んだ某君との宴会。
組織に所属初期から裏では当方、独立は宣言済み。その通りの運びとなってるわけだ。
彼は当方から、まだ居るの?と言われ続けてきた。
当方の今、現実、興味あろうし、こちらも組織抜け出してのここ数年総括しときたい
丁度イイタイミングだ。では行って来ます。 |
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