5月20日(火) ちょうな
番匠 剣持にて
「石場石の家」加工場よりお呼び出し。棟梁より「尺五寸の受け梁を丁斧仕上げにするか?」との問い。
3時の休憩タイム職人さん達のお茶飲む手が一瞬止まる。棟梁はしたいのだ、でもこの雰囲気「やって、とは言いずらいなー。好きにしてイイヨと逃げたいが・・・決断しましょ、やって」
丁斧仕上げの加工風景の写真、建材屋さんの阿部建装の部長さんが撮ってくれたという。この住宅、建材屋さんの売り上げには全く貢献しない。だって木材しか無いんだもの。でも個人的に興味がありちょくちょく撮ってくれているとのコト。
5月20日(火) JIAメンバーズマガジン
JIA(建築家協会)の会報が最近とてもいい。他雑誌にては気取った小難しい言い回しの皆様も素の姿を
見せてくれる。ぜひ(建築士会)の方々にも読んで欲しいものだ。山形でも八文字屋にて注文できるらしい。

で、6月号の記事。ニューヨークでの建築視察団の集合写真。1.5@角程度に写った中に見覚えのある顔。
かつての同僚TONOMURA女史では?似ている、何故こんなところにいるの?本人?・・・記事を読むと・・・
「某JIAリーダーを事務所にてサポートする女流建築家」とある。・・・・・たぶん間違いなさそう。
・・・・全然変わんないですね。
5月19日(月) 広くなったね・・・・・片づけただけです。
電話の鳴らぬ週末だったなと思っていたら、電話の接続間違え、ズーッと不通だったらしい。
無事業務開始。トイレ工事はそのうちに・・・
しめて38.000円のお遊び。
息切れ寸前だったのか、無理矢理一度区切りをつけようと今回の改造。趣味?・・・・建築
5月18日(日) 内装屋ごっこ
打ち合わせ室の改造に入るが、腰の痛みが限界。壁、天井はそのままにしよう。
床は作業の楽なタイルカーペットにすることにする。ホームセンターで箱買い。
これまた簡単に作業終了。結局、本の移動とパソコン等の移動にほとんどの時間喰ってるだけか。
やっぱりコリャ模様替えだな。
事務所のコピーを借りにきた親父が塗りたてのペンキの上を通り、張りたてのカーペットの上を歩いてる。
オイ・・・・。
5月17日(土) 引っ越し屋ごっこ
朝、ソファーから立ち上がる際にギックリ腰発生。最悪の状態には至らないがこんな時に・・・
痛みをおし、21インチモニターを持ち上げる。
一つ運んでは休憩。十数年分の専門雑誌の大移動、足の踏み場もない状況。
このままでは月曜からの業務に支障有り。壁と天井の直しは断念しよう。

5月16日(金) 大工ごっこ
某ホームセンター物色。設計室の床材は何にしようか。塗装型枠にて黄色にしよかとも思うがチト硬すぎる。
安価なOSBを選択。素足じゃ痛い?ゴミが詰まる?・・・・実験だ。大胆にいこう。
通風性のある壁・・・・ガーデニングコーナーにてイイもの見つけました。

事務所に戻り和室の畳をはがし、大工気取りに作業開始、一時間もかからずにOSBの床とガラリの壁が完成
模型作る感覚。隙間気にせず、スピードあるのみ。本職じゃないのだから。
5月15日(木) 現場中継x3
SA-PJ石場石の家 I邸大改造
5月15日(木) プチリフォーム
今朝から事務所の改造開始。できるだけ自力で行う予定。
畳をはがしコンパネの床にするが大量の書籍の移動が憂鬱。暑くなる季節の前に終わらせよう。
トイレの設置は住宅設計と引き替えに弟にやらせようと思うが、わざわざ岩手から呼ぶわけにもいくまい、
隣のAKIRAに格安でお願いしようか。急な思いつき、造りながら考えましょ。
勿論激ローコスト。リフォームじゃなく模様替えで終わるかも。財布しだい。
5月13日(火) だいじょうぶ?
日経アーキを読む。こんなに多くの日本の建築家が中国進出していたのか。
なんともリスキーな話も多いのだが、バブルの経験則か、崩れる前に売り抜けよう、そんな進出劇に
感じられるのは当方ばかりか。ゼネコン各社の慎重な姿勢が対照的。無事の御帰還祈ります。
5月12日(月) さてと3
どうも日記が続かない。区切りの安堵感からアンテナの感度が鈍ったのもよう。
SA-PJ関係者にて一杯。いや〜一年以上経つけど、いろいろありすぎましたね〜。
5月09日(金) さてと2
半年ぶりに実施設計から解放。幾つか基本構想先送りしていたが、再開。
そんな合間をぬって事務所の改造を考える。自力施工?
5月08日(木) さてと
おひさしぶりです。
怒濤の設計月間乗り切ったと言いたいところだが、この騒動の終盤にあった某相談案件、初回案提示期限約束
を守れませんでした。期待を裏切ったのです。これも当方の実像です。結果は真摯に受け止めます。

SA-PJも施工業者決定。当方、デフレ不況に救われる、ビンゴ。5ヶ月後の竣工にむけアトのない勝負。
先行着工の「石場石の家」とともに着工までに一年以上要した。

ところでこのコラム、さまざまな情報の発信、シゲキの意味で書いてきたが最近とても気を使っている。
隙間に生えてきたような存在自認だから外野気分であったが、ときたま聞こえる「見た」との反応。
自己啓発のハッタリに自分で戸惑う小心者。
そして顧客に対しては必ずしも専属ではない、掛け持ち、仕事のラップ状況が明らかになる、与える不安感。
あちらを立てればこちらが立たず。機動力上げたいところだが・・・・・まだまだソロ活動。現実がある。
生みの苦しみに右往左往しながらドタバタし続けるナマの姿をたれ流すコトとします。

5月03日(土) 一枚の図面
TOTO通信春号を読む。藤森照信氏による前川国男の自邸についての記文中
「担当した崎谷小三郎さんから生前・・・・・」のくだり。そうか・・・崎谷さん亡くなったんだ。
崎谷さんは前川さんがコルビジェの元から帰国したあとレーモンド事務所に勤め、その後独立する際に
レーモンド事務所から引き連れていかれた方。創設期の前川事務所メンバーだ。
当方、巨匠を支えたスタッフを卒業論文に取りあげていた関係でお会いしている。
1986年前川さんは逝去するが、確かギャラリー間で開催された追悼展でハッキリ一枚の図面を記憶している。
それが前川国男邸の矩計図。繊細で美しかった。
その時点では学生の当方、前川国男について特別な思いがあるでもなく、まして卒論で取りあげることになろ
うとは思いもせず・・・、その図面を描かれた方にその後お目にかかることになろうとは思いもせず・・・・
また自身がその流れの中で修行することになろうとは思いもよらず・・・・。

どうやってアポ取ったのかも忘れてしまった、鎌倉からバスに乗りトンネルをくぐった記憶がある。
相模湾を見下ろす葉山の高台にある崎谷邸を訪ねインタビューさせていただいた。
その時に録音したテープは資料と共に今でも保管しているが、若造が何を一体聞いたのか調べたのか・・・・
・・・・・気恥ずかしくて16年間封印したままだ。
5月02日(金) ・・・
すり減った今日一日。
5月01日(木) 息をのむ瞬間
書くに書けない近頃のこのコラム。
本日、某案件の施工各社見積提出。・・・・・真剣な勝負中・・・・
公平、厳格な情報管理中
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